
愛 敬愛の念を深め、他を尊重し、自然を愛する心豊かな人間を育成する。 知 叡知をみがき、真理を希求し、創造の意欲に満ちた人間を育成する。 忍 忍耐の力を養い、困苦に耐える強健な意志と体力を持った人間を育成する。
校 歌 作詞 火野 葦平 作曲 古関 裕而
1.白雲うつる香椎潟 千古の波は陽に映えて 胸に希望は天がける 若人の誇り、理想、自治 この三年学びとらなん 嵐に耐ゆる心意気 あゝ逞し香椎高校 | 2.立花山のもみぢ葉に 通う命の妙なれば 変わらぬ幸を祈るべし 若人の愛、思ひ、平和 学び舎の窓辺に開く 花の姿に我生きん あゝ美し香椎高校
| 3.歴史にしるけき香椎森 枯るゝを知らぬ常磐樹に 永遠の光の象徴あり 若人の自由、独立、誓い かがやける世界の朝に わが歌声をひびかせん あゝ栄ある香椎高校
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本校の校歌が西日本新聞に紹介されました(2020.8.14) (PDF:281.1キロバイト)
大正10年 (1921年) | 女子教育の振興を目指して糟屋郡立粕屋実業女学校として開校。 | 大正11年 | 4月、福岡県立粕屋高等女学校と改称、香椎宮に近い現在地に新 校舎が完成。 7月、官幣大社香椎宮の名にあやかり校名を福岡県立香椎高等女 学校と改称。
| 昭和16年 | 福岡市の実業家第四代太田清藏翁により、国士養成のため、現福岡女子大の地に財団法人香椎中学を設立。 | 昭和18年 | 香椎中学に旧相馬子爵邸の黒門を移築し正門とし、東に赤門の東京大学、西に黒門の香椎中学ありとの気概を生徒に抱かせる。 | 昭和23年 | 両校が統合し、校名を福岡県立香椎高等学校とする。 定時制課程設立。 | 昭和24年 | 被服科を開設。 | 昭和29年 | 定時制宇美分校を開設。 | 昭和30年 | 生徒会が中心となり校歌(火野葦平 作詞、古関裕而 作曲)を 作成。 | 昭和38年 | 宇美分校の廃止。 | 昭和41年 | 定時制最後の卒業式を挙行。 | 昭和56年 | 「愛・知・忍」の校訓決まる。 | 平成 3年 | 被服科を廃し、服飾デザイン科を開設。 | 平成 8年 | 創立75周年記念式典挙行。 創立75周年を記念して黒門を再建、日本庭園・西洋庭園を造園。
| 平成13年 | 創立80周年記念式典挙行。
| 平成23年
| 創立90周年記念式典挙行。 創立90周年を記念して大講義室を改築。 |
平成29年
| 服飾デザイン科をファッションデザイン科に名称変更。
| 令和3年 (2021年)
| 新体育館完成。 創立100周年記念式典挙行(新体育館)。 |
香椎高校のシンボル「黒門について」 旧制香椎中学校の「黒門」は、同中学校の創立者・第4代太田清藏氏が、東京にあった奥州中村藩の流れを汲む旧相馬子爵邸を買い取った際、その表門であった「黒門」を旧制香椎中学校初代校長・長沼賢海氏が譲り受け、昭和18年に学校の正門として移築したものである。長沼校長は「東に東大の赤門あり、西に香椎中学の黒門あり」として中学のシンボルとし、建学の士気を高め、門に「西海第一校」の額をかかげようとした。創立は太平洋戦争の時期と重なったため、門の移築は容易ではなかったようだ。ようやく移築された門も台風などのために倒壊した。 旧制中学の卒業生を中心とする同窓会会員の中から、中学のシンボルであった「黒門」を現高校に復元し、在校生の士気高揚にも役立てたいと募金活動が行われてきた。そして、平成8年の校舎大改築完成と創立75周年記念に合わせて「黒門」を復元することになった。 『「黒門」ものがたり』より抜粋
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